全く不平不満はございません

ゾウすら自分の顔が識別できるというのに、俺ときたら、仕事帰りの車窓に映る自身の姿を見て「こりゃ誰だ? どこの疲れたおっさん*1だ?」と考えることしばし。どうにも未来への展望が薄い。そもそも未来などという物は、過去やら今を思い返せない者にはやって来ない。恐ろしい事に、街の景色が移り変わっていく度に、年を重ねていく度に、過去の情景だとか、思い出だとかが褪せていく。まったく、コレは死の病だ。過去が消えて行く中、自分を見失い、それでも今を生き、見失った自分から未来を紡がねばならない。俺は何時から写真を撮らなくなったのか? 過去の知人と何故会わなくなったのか? 過去に大切だったものが何だったのか? 自分のルーツもあやふやなまま、「未来とは自分の好きな生き方を見つけるものだ」と言われても、その足場すらままならない。そんな最中にTVをつければ、あさっての方向だ。
子供の姿になってしまった椒子は、からだと尋がおっかなびっくり関係を修復する中、孤独を感じていく。そんな中、近所の子供に「遊ぼう」と誘われるのだが、「今更、ガキと何を遊べばいいのよ?」と断ってしまう。振り返れば、過去でも似た体験をしている椒子。遊びたくない訳ではない。もう1つの勇気が無かっただけなのに…。だが、再び誘われた時、何かが溶けたかの様に遊ぶ事を思い出す。からだや尋が心配する程に時が経つのも忘れ、体を泥だらけにしながら遊ぶのだ。やがて夕日を背にしながら、からだと尋の手を握り帰路に着く。

帰ろう――

ああ、よかった。椒子はまだ戻れるんだ。そう安心した所で流れるED。俺に「ただいま」という場所は…あるのだろうか? もう、こんなにも変わってしまったのに。センチメントの季節である母親が言っていた。

私だって、なりたくておばさんになったわけじゃない。

今日の俺を見たら、明日の俺は一笑に付すだろう。しょうがない。ここから始めるしかないのだから。



70%位フィクションw

*1:おっさん、と書く事に非常に強い抵抗を感じながらも、そう思っちゃったんだから仕方が無い