懐古懐古懐古のシューリンガン

今日の懐古主義1
PCが98と呼ばれ、アホ程高かった頃。親をだまくらかして*1。それを購入し、猿の如くプレイしていたゲームがあった。HDD専用ソフト第一弾という札付きのRPGルナティックドーンだ。
俺を猿プレイに導いた、そのRPGの斬新さこそが『自由』だった。キャラクターを作る。依頼を受ける。宅配、宅配、宅配。金が貯まったら訓練。依頼を受ける。退治、退治、退治…。世界も、街も、ダンジョンも自動生成。他人と違う冒険が待っていた。何をしても良かった。
知人と会えば、お互いの進行具合を報告しあった。こんな武器を手に入れた。今はこんな強さだ。etc…。ルナティックドーンが醸し出す様々なものが酷く俺を惹きつけた。
マスクデータがある事。しかも、自分自身に。己が如何程の人物か、育ててみなければ解らない。年を取る事。年を取ると言うのが唯一の自由で無い部分だった。金が必要である事。世の中は金なのだ。自分の成長にすら、金と月日が掛かる。悪事を行う自由が存在し、そして、それが効率的である事。

「宅配の依頼で○○とかの強い武器を見つけたら、そのまま盗むのがいい」
「え? 取立人が来る? その武器があれば倒せるでしょ?」
「依頼が受けられなくなる? そんな街は捨てて、次に行きなよ」

知人の助言には衝撃を受けたものだ。データの数値を高める事が至上だとするなら、盗みは正義だ。効率よく稼ぎ、効率よく強力なアイテムを手に入れ、場所を変えたら、よもや悪人ではない。第二の人生をそこで歩めば良い。
それでも俺は小さな金を得るために奔走し、月日をかけて僅かな成長をさせた。知人とのキャラクターの強さは開く一方だった。恐らく、ゲームの密度も質も違っていただろう。計り知れない『自由』の中で俺が選択した遊び方がそれだった。善人とは誠に地味だった。にも拘らず何と楽しいRPGであったか。
そうして暫らくして、ルナティックドーンⅡが登場したのだ(もっさり続く)。
アニメとか
灼眼のシャナIGPX→寝ていた…orz
今日のYahoo!よりPic
はやぶさ、金属弾発射せず…岩石採取出来なかった? ドジっ娘だったんだなあはやぶさタン。という話ではすみませんかね…それも「報告ミスでしたあ。てへ♪」の方向での。宇宙って遠いよな。スタッフの尽力に頭の上がらぬ思いです。
ネタとか
「ワンダと巨像」グラフィックス講座。A4のペラ紙に絵を殴り書きながら、ゲームを作りたい…とか言う時代は去ったのかも*2。 魅せる事に対する計算と、切捨てと圧縮と…。いやはや、凄いなあ、なんて。

*1:まあ、誇張表現だがw

*2:一部分では良いのかもしれませんがw