懐古→D&D

今日の懐古主義2
ルナティックドーンⅡは、真の意味で前作を発展させたゲームだった。
世界設定が固定化され、冒険の舞台と迷宮のMAP等は最初から統一された。自由かつ新鮮であるかの様な自動生成は無くなった。誰もが神聖ギザ帝国から冒険を始める事になったのだ。それでもこれは大いに評価できる。これによって物語は違っても皆が同じ舞台を共有できたのだから。
もう1つの変更点は英雄度/名声度の追加。これによって英雄的、または悪党的なゲームプレイが少なからず後のプレイに影響にする様になった。自主的なプレイスタイルとゲーム性ではなく、システムにそれが取り入れられたのだ。それでも、街と街との間で英雄度/名声度の差は当然あり、以前の様に『古くは悪党、今は英雄』的プレイも可能だった(実にアートディンク的と言える。素晴らしい!)。
このゲームは本当にサルの様にプレイした。神聖ギザ帝国では『儲け話に耳をそばたて、芸術品を奪った悪党からそれらを拝借する義賊』といったスタイルで英雄度を下げずに金を稼ぎ、身体を鍛えた。装備を整えた後に出国。敦津(トンシン)を経由し、日倭(ヒワ)に渡って剣の腕を磨き、竜退治の日々を送った。今思えば、他にある3つの国ではあまり冒険をしていない。機会があったら又プレイしたいものだ*1
ルナドンⅡは、各パソコン雑誌で色々なリプレイが載った。これを読むのもまた面白かった。ゲーム内では語られない部分を妄想補完したプレイ日記は、ルナドンⅡのバカバカしい点(仕様)をネタにしていたり、ファンタジー全開であったり多種多様で、読むのが実に楽しかったのだ。今でもルナドンⅡの小説を持っている。内容は大した事は無いが、それでもルナドンⅡなのだ。ルナドン2はキャンペーン的要素に薄いものの、それでも十分『自由』を追求したTRPGに近いプレイが出来た楽しいゲームであった。その後ルナドンは続編が幾つか販売される事になる(もっさり続く)。
ゲームとか
D&D3e。私がGMでのキャンペーン。古くは人々がデヴィル達を崇拝していた頃に建設されたという遺跡、『知識の塔』に潜入する一行。その先では試練ののちに大いなる知識が得られるという。世界を救う為に様々なアーティファクトを集めていた一行は、情報と富を求めて『知識の塔』に来たのだ。果たしてその先には禍々しくも豪奢な装飾を持った門があった。鍵は無いものの、分解の魔法で強引に突破できなくも無い。クレリックが行った宣託の魔法の結果は次の様な物だった。

狐の知恵を持ち、烏の口を持て。鷹の目を持ってこれに当たれば知識が得られるだろう。但し、汝が汝の友と共に歩めば、それは剣呑な物となる。

何を隠そうGMはこの展開を考えていなかった。そもそも分解されるってのを見落としていたし。鍵探しに行けよw みたいなw 想定では上位デヴィルがいる…位では考えていたが、PL達も流石に今は辛いか? と様子見に入る。結局クレリック*2とウィザードが中に入り、ホーリーリベレイター(≒パラディン)を含む他は門の外で見守る事に。まあ、ホーリーリベレイターがいたらデヴィルと交渉もクソも無いしw
金銀財宝に囲まれた部屋で、ウィザードが喜びながら物色する中、クレリックは机と其処に控える悪魔の像を見つける。机上にはゲーム盤。クレリックがその椅子に座った時、クレリックは何処かへ転送されてしまう。他のメンバーが心配して入ると、其処には目の色を変えて金品を物色するウィザード。幻術を破り全てを見通したホーリーリベレイターは軽くツっこんだ。

魔術師よ…そんなゴミを集めて何をしているのだw

ウィザードとクレリックの動きが面白かった回だった。特にウィザードは素晴らしかった。金は人を変えるなあと思ったw モンスターはいまいち準備不足で軽くシテヤラレ。うーん。まあ、こんなもんかね。さてと…次回はどうしよう。クレリック飛ばされたまんまだw
ギルティギアXX。ジョニーはカッコ良いです。俺がへっぽこでもジョニーはカッコいい。イカス。

*1:復刻版が出ている

*2:悪w